中間管理職のペロです。
今回は私の会社での生立ちについて書こうと思います。
まずは1回目、入社~部署移動までの幼少期です。
私は大学を中退し、製造業の会社へ中途で入社しました。
当社は板金部門の溶接工程へ配属され、半自動溶接はTIG溶接を行っていました。
実際、溶接の部署は会社の中でもきつい部門で、マスクは暑い、鉄粉まみれになるなど
ホント過酷な現場でした・・・夜勤はなかったのですが、これで夜勤が有ったらと思うと
本当にぞっとします。
ただ、物作りは好きでしたので、製品を完成させる溶接という工程は非常に楽しかったです。
まずは下積みです。5年程度たった時には溶接工程の予定や外注の管理もさせてもらえる様になりました。
ある時、ふと思ったのです。。。
このまま、50歳になった時にも溶接が続けれるのかと。体もしんどいですし、なんせ環境が体に悪いのです。
そして目標を設定しました。
35歳までに管理部門に異動する!!と
計画を立てます。まずは目立たないといけない!圧倒的な存在感を出さないといけない!
と思った私は、改善提案で1位を取り、経営層にアピールするという事です。
とにかく改善提案の提出です。『物を少し移動した』とか『10円コストダウンした』とか
今考えたら寒気がするほど残念な内容だったのですが、数で勝負です。
結果、1年後に改善提案で1位を取る事ができました!!!
そして転機が訪れます。
製造部の副部長が、若手を対象にした勉強会を開催するというのです。
毎日30分、各工程の若手が集まり勉強会です。最初は副部長の話を聞いて感想を発表だったのですが
次第にハードルが上がり、与えられたテーマについて日替わりで発表するというものになってきました。
パソコンなんて使った事ありません。中小企業の現場なんてパソコンなんて使えません。
まずは人差し指1本です。とにかくエクセルに文字を入力するだけで精一杯・・・
次の発表までのサイクルにテーマを考え、資料作成。
ただ、35歳で管理部門に異動したいのです!!
必死にやります。とにかく必死に・・・
そして28歳の時に管理部門への移動がかなったのです。。。
勉強会を開催してくれた製造部の副部長の推薦で生産管理の部門へ移動となりました。
今回は社会人幼少期のお話でした。
実際、自分の行動は自分で決めるしかありません。
誰が何を言おうが、自分で感じて行動する。
何歳になっても常に成長できるように努力したいと思います。
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